こんにちは、皆さま😊
難病・クローン病闘病記第4話です。
毎回読んでくれている方もここから初めて読む方も
ありがとうございます☆
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それではいつものように目次から☟
超簡単なこれまでの振り返り
※詳しくはそれぞれ記事を読んでね☆
○エピソード①発症・・・高校入学直後~
ボクシング部があるから入学した進学校
→『痔瘻』が発生
→体力の低下と食後の腹痛症状が出始める
○エピソード②診断・・・高校1年夏前
『痔瘻』を母親に伝える。
→肛門科なのに消化器難病のクローン病を診断される
→本人は特に危機感無し
○エピソード③消化器内科外来・・・高校1年夏
肛門科からの紹介で県立の病院の専門科を受診
→クローン病を改めて診断、今後の治療について説明をうける
→食事制限の話は右から左
→重症になったら「手術」や「人工肛門」のワードが出ていたけど、
『俺には関係ないな』とスルー
→血便もあったので検査入院をするように言われる。
エピソード④検査入院編
いよいよ迎えた検査入院
高校生活最初の夏休みに入り、
最初の数日はボクシング部に参加していました。
部活は過酷で体力は低下して思うようには動けないものの、
先輩や他の部員、マネージャーも仲が良くとても楽しくやってました😊
・・・ですが数日で検査入院の日を迎えました。
入院とは言っても、検査のため!
なので数日の入院だろうと高を括っていました。
「人生初めての入院」ということで、
何となく合宿のような浮いた気持ち。
当時、ナースセンターから一番遠い角の部屋、
6人部屋の窓側のベッドに入りました。
入院して出る食事は「クローン食」という病気専用の食事形態でした。
少し説明すると、
脂肪分ほぼ無し、タンパク質は豆腐と卵のみ、食物繊維など歯ごたえのあるもの無し。
と言う内容で、味気ない感じでしたが、食後に悩まされていた腹痛も軽く。
「ほほー、ちゃんとした食事ならお腹痛くならんか」
と感心していました。
検査される以外特に何もないので、
病室でテレビを見てゴロゴロ過ごしていたと記憶しています。
「暇だなーーーーー」って。。。
運命の夜は突然に・・・
入院して間もなく、2日目くらい?だったか。
(※もう20年も昔のことなのにここからの記憶はめちゃくちゃ鮮明なので記憶の通り書き綴ってみます。)
たしか時間は夜の8時とかでした。
特にやることもないので、ベッドに横になりながらボーっとテレビを見ていました。
トイレに行きたくなり、トイレで大便を・・・
『ちょっと血が混じってるなー』
って感じでしたが、これは最近のいつも通りでした。
ベッドに戻り、またボーっとテレビを見始めたのですが、
ほんの数分後・・・
『ん?なんかまたウ○コしたいな。さっき出きらんかったかな?』
と言うことで、もう一度トイレに行くことにしたのです。
ベッドから降り、スリッパを履いて廊下に出ます。
そして部屋から廊下に出た瞬間・・・
『…あ?視界がぐるぐる回る…。』
『あれ…。力が抜けるぞ。。。』
ゆっくり四つん這いになったのですが、
すぐに手や膝の力も抜け、四つん這いの姿勢すら取れなくなり、
うつぶせに倒れこんでしまったのです。
私は何がなんだか分からなかったものの、
『まったく体が動かせない・・・。』
さらに、
『胸がめちゃくちゃ痛い!そして何か息もできん!』
これで一瞬意識が飛びましたが、
すぐに近くの看護師さんが目に入り、
頭を上げて手を伸ばしました💦(おそらく見た目は地面を這うゾンビ🦴)
夜勤の若い看護師さんでしたが、すぐにこちらに気付くと、
かなり慌てて、すぐに先輩看護師と共にストレッチャーを持ってきてくれました。
そのままストレッチャーでナースセンター奥の処置室に運ばれます。
倒れた原因は・・・
ストレッチャーで処置室に付きました。
そのころには何故か痛みは消えていました。
ですが、全身の力の入らない私のお尻が熱くなってきたことに気づきます。
『なんやろ?』と思い、少し頭を起こしてストレッチャーの脇から下を見ると・・・
処置室の床全体に赤い水たまりができているではありませんか!
そうです!私の2度目の便意の原因はこれ、
大量の下血でした!!
それはそれは膨大な量の・・・
(ウ○チが腸にあることで傷口(潰瘍部)に蓋がされていたんだと思います。それが出たことで堰を切ったように血が溢れ出たのでしょう・・・)
すぐに点滴に繋がれ、
看護師さんから連絡がいったのか、私の主治医がかけつけます。
(※失血しているのに、この辺りからさらに記憶(意識)は鮮明でした。)
そのあと、私の両親家族がかけつけ、
じいちゃんが椅子に座っていたのもはっきり覚えています。
家族が医師から何か説明を受けていました。
その時自分の手を見て、
『人間の手ってこんなに白くなるんやー。。。』と思ったことを鮮明に記憶しています。
主治医は家族へ説明を終えた後、
この時なぜか意識が鮮明な私にも説明をしました。
内容はこのような感じ☟
「出血量が多すぎる。このままではまずいのですぐに輸血が必要。」
「本当は輸血の同意書を書かないと輸血できないが、もう字も書けそうにないので親御さんにサインしてもらった。」
「外科に連絡したので、このあと緊急手術になる」
「以前、外来で説明をした【人工肛門】と言うものを作ることになるだろう」
「口頭での確認になるけど、いいね?」
私はこれに対してはっきり返事をしたのを覚えています。
ただ、意識は鮮明ですが、深く考えられるほど頭は働いておらず。
『【人工肛門】かー。なんやったかな、それ。まあいいか』
って感じに思ったことを記憶しています。
手術室へ
手術室へ向かう途中のストレッチャー
両親やじいちゃんは私に
「がんばれ」とか声をかけてくれていました。
私は力は入らないものの意識はしっかりあるため
『大丈夫』と答えていました。
その直後から私の記憶はありません・・・。
私が目を覚ましたのは(記憶があるのは)
手術を終え、移された消化器「外科」の病棟の個室のベッドでした。
エピソード⑤~訪れない安息~(仮) へ、
つづく・・・
エピソード④まとめ
・ちょっとだけ楽しめた夏休みの部活。でもすぐ戻れると思っていた。
・入院は人生初めてなので不安よりも浮いた気持ちだった。
・ある夜、急な脱力で倒れる
・大量の下血と失血症状
・血はなくなっているはずなのに鮮明になる意識。
・緊急輸血と手術へ・・・
エピソード④の怒涛の展開は鮮明に記憶に残っているため、
あえて記憶を辿りそのまま書き綴った内容のため読みづらかった方にはごめんなさい。
④を振り返って思うこと&読んでくださっている方へ
この当時の経験から思ったのは、
人間「死ぬ直前は意識がはっきりする」って聞きますけど、ホントだな。
ってことです。
失血がピークになった時は本来あるはずの痛みもなく、「手が白いなー」とか意識がとてもクリアでした。
実際、出血量は間もなく致死量だったらしく、ぎりぎりの輸血だったと後日説明を受けています。
「たかが検査入院」と当時は思いましたが、
もしもそれで入院を少しでも伸ばしていたら今頃私はここにはいません。
自宅で出血していたらおそらくアウトだったでしょう。
実はこの先、数年・十数年経ってから何度か似たようなことを経験します。
自分で何となく怪しいと感じ「念のため入院」をしたら、その後に急変し、
[もし入院していなかったら死んでいただろう]という経験です。
霊感?がついたのかもしれませんが、不思議と死を免れています。
こんな経験をし、今や病院での仕事をしてきた私が思うのは、
【人間は簡単には死なない。
でも、突然簡単に死ぬこともよくある】
ってことです。
矛盾しているけど、私的には矛盾してないです。うまく説明できないけど。
これまでのエピソードでも最後に「読んでくださってい方々へ」と書いていますが、
病気も、そして死も、
明日は我が身なのかもしれません。
家族や友人に起きうるかもしれません。
この闘病記はまだまだ続きそうですが💦そんなことを頭の片隅で感じながら読んでくれると嬉しいな、と思います。
ラフなつもりの雑記ブログでなんだか難しい終わりで申し訳ないけど、
この先も読んでほしいな😊